日本を代表する俳優であり、映画「釣りバカ日誌」シリーズや「ドクターX」などで知られる西田敏行さんが、2024年10月17日に東京都内の自宅で急死されました。享年76歳。
10月8日には映画「劇場版ドクターX」の完成報告会見に元気な姿を見せていただけに、その突然の訃報は多くのファンに衝撃を与えました。
長いキャリアの中で、病気との闘いも続けていた西田さん。その死の理由と近況について見ていきます。
西田敏行さんの死因と病気との闘い
西田敏行さんの急死に関して、死因は現在のところ明確には発表されていませんが、彼は過去に複数の大病を経験していました。
2003年には急性心筋梗塞で生死の境をさまよい、その後の健康管理に努めるようになったものの、2016年には自宅での転倒により頸椎亜脱臼を起こし、その後の手術や胆のう摘出手術も受けるなど、体調には不安が残る日々が続いていました。
西田さんはもともと1日に100本近くのたばこを吸うヘビースモーカーでしたが、2003年の心筋梗塞を機に禁煙を宣言。
その後、食生活にも気を配りながら仕事を続けてきました。しかし、年齢とともに体調面の不安は増し、病気や怪我を乗り越えながらも俳優としての活動を続けていました。
西田敏行さんの最近の活動と状態
2024年10月8日、映画「劇場版ドクターX」の完成報告会見に登場した西田さんは、元気な姿を見せていました。
このため、急逝の報に驚いたファンや関係者も多かったようです。西田さんは事務所との打ち合わせのため、自宅で付き人を待っている最中に倒れていたと報じられています。
近年は病気との闘いが続く中でも、俳優としての活動を精力的に続けていました。
特に「ドクターX」シリーズでは、彼の重厚感ある演技が好評を博し、視聴者からも絶大な支持を受けていました。
また、復興支援活動にも熱心で、故郷である福島県の震災復興にも尽力。被災地への訪問やチャリティ活動を通じて、多くの人々を励ましていました。
西田敏行さんのプロフィールと長いキャリア
西田敏行さんは、1947年11月4日、福島県郡山市生まれ。
高校卒業後に上京し、劇団青年座に所属。1967年に俳優デビューを果たし、1970年代から80年代にかけてテレビドラマ「池中玄太80キロ」や映画「釣りバカ日誌」で一躍国民的俳優となりました。
その後も「敦煌」や「学校」などで日本アカデミー賞を受賞するなど、確かな演技力を持つ俳優として知られています。
歌手としても成功を収め、「もしもピアノが弾けたなら」は彼の代表的なヒット曲。
NHK紅白歌合戦にも出場するなど、多岐にわたる分野で活躍しました。
また、バラエティ番組「探偵!ナイトスクープ」の2代目局長としても親しまれ、老若男女問わず多くの視聴者に愛された存在です。
まとめ:多くの人に愛された西田敏行さんの遺産
西田敏行さんは、病気や怪我に苦しみながらも、多くのファンに笑顔と感動を届け続けました。
その温かみのある演技や人柄、そして復興支援などを通じて、人々に勇気と希望を与えた彼の存在は、日本の芸能界において大きな足跡を残しました。
女優の米倉涼子さんは自身のSNSで「西田さん 突然の訃報に接し、言葉もありません…」と追悼。「一昨日写真をのせるからね!と話したばかりなのに」と直前まで会話していたことを告白。
訃報の約1時間前には西田さんとの食事中の2ショットをストーリーズに投稿していたばかりだった。
続けて「悲しすぎて悲しすぎてまだ信じられません」と悲痛な胸の内を吐露した。
突然の訃報に多くの人々が悲しみに包まれていますが、西田さんが遺した数々の作品や思い出は、これからも多くの人の心に生き続けることでしょう。
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