1986年11月、アラスカ上空で発生した日航ジャンボ機のUFO遭遇事件は、世界中で注目された未確認飛行物体(UFO)事件のひとつです。
この事件では、JAL1628便の機長である寺内謙寿氏が巨大なUFOを目撃し、約1時間にわたってその未確認物体に追跡されるという衝撃的な体験をしました。
この記事では、事件の概要、寺内機長の主張、報道の反応、そして事件の真相について掘り下げていきます。
アラスカ上空で発生した日航ジャンボ機UFO遭遇事件の概要
1986年11月17日、JAL1628便は、パリを発しアイスランドのケプラヴィーク経由でアラスカ州アンカレッジに向かう貨物便として飛行中でした。
機材はボーイング747-246Fで、寺内謙寿機長(当時47歳)、副操縦士の為藤隆憲氏(39歳)、航空機関士の佃善雄氏(33歳)の3名が乗務していました。
アラスカ上空、フェアバンクス付近の高度約10,000メートルを飛行していた時、寺内機長は、自機の左右に巨大な光を放つ物体が現れるのを確認します。
この物体は「母船型UFO」と表現され、自機の3〜4倍の大きさであったとされています。寺内機長はその物体がレーダーにも映り、約1時間にわたってUFOと遭遇したと証言しました。
しかしながら、この未確認物体は米軍基地のレーダーやアンカレッジの航空管制レーダーでは確認されず、一部では「幻影」や「気象現象」として片付けられました。
このUFOは、最終的に日航機がユナイテッド航空機とすれ違う際に姿を消したとされています。
寺内機長の主張
事件の中心人物である寺内機長は、未確認飛行物体を明確に視認したと強く主張しました。
寺内機長によると、UFOは非常に巨大で、自機と同じ速度で並行して飛行していました。
また、機内の気象レーダーにはそのUFOが雲状の物体として映し出されていたことも確認されています。
機長はその後、アラスカの空港に着陸後、米連邦航空局(FAA)から事情聴取を受け、報告を提出しました。
寺内機長はこの時、UFOが高度な技術を持っており、空軍機での追跡が何かしらの「異常事態」を引き起こすのではないかという恐れから、空軍の介入を拒んだとも証言しています。
一方、副操縦士と航空機関士は、光を見たものの、機長が主張するような形状の物体は確認できなかったと証言しており、証言内容に違いが見られます。
このため、一部では寺内機長の主張が誇張されているのではないかとの見方もされました。
日航ジャンボ機UFO遭遇事件の報道と反応
寺内機長が友人に事件の詳細を話したことをきっかけに、このUFO遭遇事件は共同通信を通じて全世界に配信され、大きな話題となりました。
当時、日本やアメリカのテレビニュースや全国紙、週刊誌でも広く報道され、UFOに関心のある人々の間で議論が巻き起こりました。
しかし、すぐにUFO否定派のメディアは「惑星の見間違い」という説を打ち出し、事件の解釈を変えようとしました。
この報道によって、寺内機長の証言は徐々に信頼を失い、彼はその後地上勤務に異動となります。
この一連の出来事は、UFO目撃証言がしばしばキャリアに悪影響を与えるという典型的な事例としても知られています。
日航ジャンボ機UFO遭遇事件の真相
この事件の真相については、いまだにさまざまな説があります。
寺内機長の証言や、FAAのレーダーデータを元に、このUFOが本物であった可能性を支持する意見も根強くあります。
特に、FAAの元事故調査部長ジョン・キャラハンは、UFOがレーダーに捉えられていたことを証言し、UFOの存在を裏付ける資料を保持していたことを明らかにしています。
また、2001年の「ディスクロージャープロジェクト」では、この事件が取り上げられ、アメリカ政府が事件に関与し、報道を抑制したとの証言も出されました。
こうした情報は、UFOが単なる「気象現象」や「幻覚」ではなかったとする立場を補強しています。
一方で、専門家の中には、機長が見たのは「光柱現象」や「氷晶による視覚効果」である可能性を指摘する者もおり、科学的な説明を求める声もあります。
これにより、日航ジャンボ機UFO遭遇事件は、未解決のまま現在に至るまで議論が続いています。
まとめ
日航ジャンボ機UFO遭遇事件は、1986年11月にアラスカ上空で発生した未確認飛行物体の目撃事件として、UFO研究においても特筆すべきケースです。
寺内機長の詳細な証言と、レーダーに映ったという事実にも関わらず、事件はUFO否定派によって「惑星の見間違い」として片付けられ、その後もさまざまな説が飛び交っています。
この事件がUFOの存在を裏付ける決定的な証拠となるかどうかは不明ですが、航空業界におけるパイロットの目撃証言や未解決事件の数々を考えると、今後も多くの議論が続いていくことは間違いありません。
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