【光る君へ まひろと道長と月】紫式部の百人一首の和歌を深読みしてみました

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今年の大河ドラマ『光る君へ』は、平安時代を舞台に、”まひろ”こと紫式部と藤原道長の繊細な関係を描き出す作品です。
月が象徴的に使われるシーンが多く、登場人物の心象風景が美しく映し出されています。
平安時代の貴族にとって、月はただの風景ではなく、愛や別れを語る重要なシンボルでした。
月を見上げることで、彼らは己の心を映し出し、物語の中に深い感情を投げかけているのです。

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【まひろと道長】月が印象的に描かれている

朧月

ドラマでは、”まひろ”と道長の密会のシーンに特にが登場します。
二人の逢瀬は、いつも満月や月夜の下で展開され、彼らの強い絆や別れの予感を暗示しています
この月の存在が、二人の関係の深さと儚さを感じさせ、物語に引き込む大きな要素となっているような気がします。

藤原道長を語る上で欠かせないのが、有名な和歌「この世をば我が世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」です。
この和歌は、道長が自らの栄華を満月にたとえ、自らの全盛期を表現したものと言われています。
しかしこのドラマでは、この和歌が象徴する道長の絶頂期がどのように描かれ、運命にどのように翻弄され、道長自身がどのように悩むのかを描いていくのか、とても興味があります。

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【まひろと道長】密会の描写(第10話、第27話など)

第10話では、”まひろ”と道長が初めて結ばれる夜、満月が背後に浮かび上がるシーンが印象的です。
これは単なる背景ではなく、二人の運命的な出会いを象徴し、道長の人生における最高の瞬間を暗示しています。
この満月の光は、彼らの未来にどのような影を落とすのかを予感させるような深い印象を残します。

第27話では、”まひろ”が越前から帰京し、道長との一夜を過ごすシーンが描かれています。
この夜も、月が彼らの再会を静かに見守っています。再び月夜の中で交わる二人の姿は、一瞬の安らぎを感じさせながらも、やがて別れが訪れる予感を漂わせています。
月が満ちる一方で、二人の関係がどのように変わっていくのか、どこか期待と不安を抱かせる演出を感じます。

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百人一首の紫式部の和歌

百人一首かるた

藤原定家の百人一首に選ばれている紫式部の和歌
「めぐり逢ひて 見しやそれとも 分かね間に 雲隠れにし 夜半の月影」
この和歌の現代訳は、「幼なじみの貴女とせっかく久しぶりに出会ったというのに、それが貴女だと見分けられないうちに、まるで雲間に隠れた夜中の月のように、さっと帰られてしましましたね」という意味がつけられております。
このドラマで言うと「さわ」さんのことあたりを詠んだのかなと想像されます。

ですが私には、多くの方の解釈のままではなく、このドラマにおいては、「めぐり逢ったのは」幼な馴染みの女性ではなく、幼き頃「三郎」と呼ばれていた道長のことのような気がしてなりません。
そして、夜半の月影に雲隠れされたのは道長で、道長の亡くなる直前に、わずかな時間ほんの少しの合間でも、自分が生涯愛したお方のお姿を、拝見することが出来たということを詠ったような気がいたします。

まとめ—月が映し出す平安の心

『光る君へ』は、平安時代の貴族たちの心象風景を美しく描き出した作品です。月というシンボルを通じて、登場人物たちの感情や運命が映し出され、物語に奥深さを与えてくれています。

これからの”まひろ”と道長の関係がどのように変化し、二人の未来にどのような波乱が待ち受けているのか、期待に胸を膨らませています。
紫式部の和歌や月が物語に絡むシーンが、今後もさらに物語を彩っていくことを期待いたします。

ちなみに、この「めぐり逢ひて・・」の和歌は、時代的には父為時が越前守の時代に詠まれたらしいので、時間的にはもうドラマでは過ぎてしまっているみたいですが・・・

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