
子役から舞台俳優へ、そして今なお第一線で輝き続ける俳優・風間杜夫さん。
幼少期からカメラの前に立ち続け、70年近いキャリアを重ねてきた風間杜夫さんは、日本の演劇界における真のレジェンドと言える存在です。
つかこうへい作品の常連俳優として名を馳せ、その情熱的で迫力ある演技は多くの観客の心を捉えてきました。
映像作品だけでなく、舞台、さらには落語にまで活動の幅を広げ、その表現力はジャンルを超えて高い評価を得ています。
ここでは、風間杜夫さんの豊かな経歴や、長年支えてきた家族との深い絆、そして75歳を超えてもなお挑戦を続ける現在の姿を詳しくご紹介し、彼の芸能人生において欠かせない存在であるつかこうへいさんとの深い関係にも焦点を当てていきます。
風間杜夫さんの俳優としての歩み

風間杜夫さんは1949年4月26日、東京都世田谷区三軒茶屋にて本名・住田知仁さんとして生まれました。
8歳で児童劇団「東童」に入団し、子役として映画やテレビ、雑誌の表紙などに登場し人気を博します。
特に東映映画での出演や学習雑誌への登場は、当時の同世代にとって憧れの存在となっていました。
小学校時代には撮影のため長期間京都に滞在するなど、本格的に芸能活動に打ち込んでいました。
13歳で劇団を退団したのち、玉川学園で中学・高校を過ごします。
高校時代には父親の会社が経済的に苦境に陥り、家庭の中での責任を感じながらも学業と芸能活動の両立に励む日々が続きました。
その後、早稲田大学の演劇専修に進学するも中退し、自身の進むべき道は俳優だと確信し、本格的に俳優業へ転身します。
1972年、日活ロマンポルノ『艶説女侠伝 お万乱れ肌』で銀幕デビューを果たし、俳優「風間杜夫」として再スタートを切ります。
1974年にはテレビドラマ『勝海舟』に出演しテレビにも進出。
1975年には『娘たちの四季』で初のレギュラー出演を果たし、徐々に知名度を高めていきました。1980年代には映画『蒲田行進曲』やドラマ『スチュワーデス物語』の村沢教官役で国民的な人気を得るに至り、その実力と個性が広く認知されるようになります。
さらにはアニメや洋画の吹き替えなど、声優としての活動も展開。
アニメ『安寿と厨子王丸』や海外ドラマ『X-Files』のモルダー役など、声だけでキャラクターの感情を伝える難役にも挑戦し、長年にわたり舞台と映像を往復しながら、多彩な演技力を発揮してきました。
つかこうへいとの運命的な出会い

風間杜夫さんの俳優人生において、劇作家・演出家のつかこうへいさんとの出会いは非常に重要なターニングポイントとなりました。
1977年に劇団「つかこうへい事務所」の舞台『戦争で死ねなかったお父さんのために』に出演したことをきっかけに、以後つか作品の常連俳優として活躍します。
舞台上では台本に縛られず、つかこうへいさんが即興でセリフを変更することも多く、そのたびに風間杜夫さんは全身全霊で応える演技を見せ、観客を魅了してきました。
『蒲田行進曲』では、舞台版・映画版ともに重要な役柄で出演し、作品の成功に大きく貢献しました。
つかこうへいさんからは

「お前の卑屈なところ、狂気じみたところ全部芝居に出せ」
と厳しくも的確な指導を受けたことが、風間杜夫さんの演技スタイルに決定的な影響を与えたと語られています。
その言葉は彼の心に深く刻まれ、以降の演技人生の支柱となりました。
彼の狂気や人間の裏側を表現する演技力は、つか作品を通じて大きく開花し、観客を圧倒する演技の根幹となっていきました。
また、舞台での緊張感やリアルなやり取りは、風間杜夫さんの演技により一層の深みを与えることとなり、演劇の醍醐味を追求する姿勢にもつながっています。
つかこうへいさんとの関係は、風間杜夫さんの俳優人生を語る上で欠かせない要素であり、互いに高め合った創作の記憶は、今も多くの演劇ファンの心に残されています。
家族との絆と私生活
風間杜夫さんは1974年に一般女性・訓子さんと結婚しました。
俳優として軌道に乗る前から支えてくれた訓子さんは、彼の父親が倒れた際にも12年にわたり介護を続けるなど、家庭の要として献身的な役割を果たしてきました。
訓子さんは表に出ることを避けながらも、風間杜夫さんの多忙な仕事を精神的にも支え、静かに家族をまとめる存在として欠かせない存在であり続けています。
お二人の間には1男1女がいます。
娘の住田未歩さんは上智大学フランス文学科を卒業後、フランス語翻訳家や文筆家として活動中で、文学的素養と語学力を活かして書籍やコラムの執筆にも携わっています。
息子さんは大手出版社に勤務しており、既婚でお子さん(風間杜夫さんの孫)も2人いることが2021年のテレビ番組で語られました。
風間さんは家族との団らんを何よりも大切にし、特に孫との交流に生きがいを感じていると語っています。
風間杜夫さんは家族との関係を非常に大切にしており、孫との時間を楽しみながら、健康に気を使いながら日々を過ごしています。
2023年には大腸ポリープの手術を受けましたが、家族の協力もあり無事に回復。
妻・訓子さんの献身的な看病と、子どもたちの温かな励ましに支えられながら、私生活でも穏やかで充実した時間を送っています。
現在の活動と変わらぬ情熱

2025年現在、風間杜夫さんは75歳を迎えていますが、なお俳優として第一線で活躍し続けています。
特に舞台では、年に複数本の公演に出演しており、2024年には『こんばんは、父さん』や『おちょこの傘持つメリー・ポピンズ』などに出演しました。
いずれの作品でも存在感ある演技を披露し、若手俳優との共演でも圧倒的な存在感を放っています。
作品の中では人間の深層心理を掘り下げる演技が高く評価され、観客の涙を誘う場面も少なくありません。
2025年4月には『熱海殺人事件と売春捜査官』の舞台公演を控えており、演劇ファンの間でも大きな話題となっています。
これまで幾度も再演されてきた名作の新たな解釈に風間杜夫さんがどのように挑むのか、多くの期待が寄せられています。
また、テレビドラマ『鉄人をひろったよ』や映画『君の忘れ方』にも出演し、幅広い層の観客にその存在感を示しています。
映像作品でも彼の繊細な演技が作品全体に奥行きを与えており、共演者やスタッフからの信頼も厚いと言われています。
さらに、近年は落語にも力を入れており、定期的に独演会を開催。観客との間合いや話芸を重視する落語の世界においても着実に実績を重ね、古典から創作まで幅広く挑戦しています。
麻雀にも高い実力を持ち、タレント雀士としてテレビ番組に出演することもあり、知的な戦略と勝負勘の鋭さが光ります。
多彩な趣味と活動範囲の広さはまさに「人生の達人」と言えるでしょう。
まとめ
風間杜夫さんは、8歳で子役デビューを果たして以来、70年近くにわたり演劇とともに歩み続けてきました。
その長いキャリアの中で培われた演技力や人間味あふれる表現は、舞台芸術の豊かさを体現する存在として広く称賛されています。
特に、つかこうへいさんとの出会いによって開花した狂気と情熱を内包する演技は、単なる感情表現にとどまらず、観る者の心の奥深くに訴えかける力を持ち、今もなお多くの観客の心を揺さぶり続けています。
家族との絆を大切にしながら、年齢を重ねてもなお新たな挑戦を続けるその姿勢は、芸能界に限らず多くの人々に勇気と感動を与えています。
健康を維持しながら精力的に活動を続ける風間杜夫さんの姿には、年齢を超えたエネルギーと表現者としての誇りがあふれています。
舞台、映像、落語という多様な表現の場を自由に行き来し、さらなる挑戦を続けるその歩みは、まさに生涯現役の鑑といえるでしょう。
これからも風間杜夫さんがどのような活躍を見せてくれるのか、多くのファンが期待を込めて見守っています。
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