仙台市の北東、いわゆる「鬼門」に位置する東照宮(仙台東照宮)に参拝してきました。
創建から長い歴史を持ち、その由緒ある佇まいに触れることで、仙台の歴史や文化の深さを改めて感じることができました。
ここでは、東照宮の魅力を余すところなくお伝えします。
仙台東照宮の由来
仙台東照宮は1654年(承応3年)、仙台藩二代藩主・伊達忠宗公によって創建されました。
彼の父である初代藩主・伊達政宗公の死後、仙台藩は大火や洪水といった災害に見舞われ、深刻な財政危機に直面しました。
しかし、幕府からの援助を受けてこの危機を乗り越え、安定した体制を築くことができました。
これに感謝した忠宗公は、幕府に対する尊崇の念を示すため、時の将軍・徳川家光公に東照宮創建を願い出たのです。
その後、仙台藩内において東照宮は、単なる神社以上の存在として重要な役割を担っていくことになります。
御宮町の制定や、仙台最大のお祭りである「東照宮御祭礼」の定期的な開催が決定され、藩の守護神として多くの人々に親しまれるようになりました。
境内の見どころ
まず、東照宮の入口で出迎えてくれるのは、巨大な石造りの鳥居です。
この鳥居は二代藩主伊達忠宗公の夫人、振姫(徳川秀忠の養女)の出身地である備前国から海路を経て運ばれたもので、その途中、江戸でも祝儀が行われたとのこと。
歴史の重みを感じさせるこの鳥居をくぐると、静かで落ち着いた参道が続きます。
続いて参道脇に並ぶ石灯籠に目を奪われます。
全49段の石段を上る間、38基の石灯籠が参拝者を見守るように配置されています。
そのうち28基は伊達家の重臣たちが奉納したもので、御一門筆頭の石川大和守宗弘や亘理伊達家二代目の伊達安房守宗実(成実の養子)、御一門第三席である水沢伊達家の伊達和泉守宗直、重臣の片倉備中守重長(有名な小十郎景綱の子)、茂庭大隈守延元(茂庭良元の子)など、戦国時代後期・江戸初期の重臣たちの名前が見えます。
戦国時代や江戸時代の歴史好きにはたまらない光景です。
また、小説「樅ノ木は残った」の登場人物、伊達信濃守宗重(伊達安芸)や奥山大学常辰の銘も見ることができます。
有名な伊達騒動(寛文事件)の結果、何基かは撤去された灯籠もあるとのことです。
(推測の域を出ませんが、おそらく伊達兵部宗勝や原田甲斐宗輔あたりでしょうか)
そして、石段を上がった先にある随身門。
この門は、1654年に建てられたもので、その威厳ある佇まいは見る者を圧倒します。
さらに進むと、拝殿や唐門、本殿が待ち受けています。拝殿は1935年に一度焼失し、1964年に再建されましたが、その荘厳な雰囲気は現在でも健在です。
静寂の中に宿る荘厳さ
正面に見えるのは、南に向かって約1.5km、まっすぐ伸びる宮町通りです。
東照宮は、日常の喧騒を忘れさせる静けさに包まれています。
普段は多くの参拝者が訪れるわけではなく、静かに自分と向き合う時間が持てる場所です。
しかし、年末年始やどんと祭の時期には、東照宮も一転して賑わいを見せ、多くの人で溢れ返るとのことです。
このように、東照宮は仙台市民にとって特別な場所であり、四季折々の風景や行事を通じて人々と強い結びつきを保っているのです。
おわりに
仙台東照宮は、規模こそ大きくありませんが、歴史と文化が凝縮された場所です。
その荘厳さと静けさに触れることで、心が洗われ、穏やかな気持ちになれるでしょう。
参拝を終えた後、見晴らしの良い随身門前からは、南に向かってまっすぐに伸びる宮町通りが見渡せます。
ここからの眺めは、まるで現代と過去を繋ぐタイムトンネルのようで、訪れた者に歴史の流れを感じさせてくれます。
仙台の歴史に触れたい方や、心静かに参拝したい方にとって、仙台東照宮はまさに訪れる価値のある場所です。
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