亀岡八幡宮:苔むす石段とその歴史

青葉城の西北、戌亥の方角にひっそりと佇む「亀岡八幡宮」を訪れました。
昔からこの神社の長い石段が印象的だと聞いており、いつか足を運んでみたいと思っていました。
今回ようやくその願いを叶えることができました。


亀岡八幡宮は、由緒ある歴史を持つ神社です。
その起源は鎌倉時代に遡り、伊達家の祖である伊達朝宗が福島県伊達郡梁川に鶴岡八幡宮を勧請し創建したことに始まります。その後、仙台藩四代藩主の伊達綱村によって現在の地に移されました。
約300年前、奥の細道の旅路で松尾芭蕉とその弟子・曾良もこの場所を訪れたといいます。
まさに歴史と文化が交差する場所なのです。

入り口に掲げられておりました神社の縁起です。

参道に立つと、まず目に飛び込んでくるのが堂々とした石鳥居。
これは仙台東照宮や大崎八幡宮と並び、仙台の三大石鳥居の一つとされています。
その上部には青銅製の額が掲げられ、時の流れを感じさせる趣があります。

石段の始まりに立つと、苔むした石段が視界に広がり、その長さに圧倒されました。
この石段は、かつて年間の日数と同じ365段だったそうですが、現在は削られて335段程度になっています。それでも、目の前に広がる風景はまさに苔むす石段といった趣きで、足元を慎重に見ながら一歩一歩登り始めました。

石段は四つの部分に分かれており、上を見ても先が見えないほど急で長い道のりです。
風雨に晒され続けた石段は波打ち、足場は決して平坦ではありません。
登るごとに少しずつ疲れが増しますが、それがまた参拝の有り難みを増す一因でもあるように感じられます。

途中、手水舎が見えてきましたが、残念ながらお浄めの水はありませんでした。
それでも、静寂の中で蝉時雨が響き渡り、自然と心が落ち着いていくのを感じます。

ようやく本殿が見えたとき、達成感とともに、石段を登り切った充実感が胸に広がりました。

亀岡八幡宮の本殿は、昭和20年7月の戦災で焼失し、その後昭和40年に再建されたものです。
長い歴史を経て現代に至るまで、人々の信仰の対象として守り継がれてきたことを思うと、感慨深いものがあります。

訪れたのは真夏の午後で、他に参拝者の姿はなく、ただ静かに蝉の音だけが響く中、私は自分の過去と未来に思いを馳せつつ、心静かに参拝しました。
この静寂の中で過ごす時間は、日常から離れ、自分自身と向き合う貴重なひとときとなりました。

亀岡八幡宮は桜の名所としても知られており、参道の入り口近くには樹齢350年を超える大枝垂桜が植えられています。
春になると、その美しさが参道を彩り、多くの人々を魅了するそうです。
今回は夏の参拝でしたが、次はぜひ桜の季節に訪れ、この神社の新たな一面を楽しみたいと思います。

歴史と自然に囲まれた亀岡八幡宮での参拝は、単なる観光以上に深い意義を持つものでした。
石段を登るという行為が、心身を浄化し、自分自身と向き合う時間を与えてくれます。
ぜひ皆さんも一度訪れてみてはいかがでしょうか。

桜の季節や、新緑の頃、また秋の紅葉も美しいと聞きます。四季折々の自然と歴史に触れる体験は、きっと特別なものとなるはずです。

ありがとうございました。

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